8、シベリア横断道路|満州の夜

ウラジオストクを昼前に出発して夜にはハバロフスクまで半分の距離を進んでいた。

夜のシベリア横断道路をハバロフスクへ向けて走っていると、ふと子供の頃に聞いた親父の満州の話を思い出した。

18歳で徴兵された親父は訓練所を経て満州に配属になった。上官に殴られた話、訓練が厳しかった話、ロシア軍と戦った話などいろいろあったが、子供心に一番残ったのは、冬の夜にお腹が減って仕方がない夜の話だった。

 

暖かいところで育った親父達は冬の満州が辛くてたまらないものだった。あまりの寒さと空腹に同郷の友人と兵舎を抜け出して近くの農家に忍びこみ食料を調達しようということになったらしい。同僚はネギや芋や玉ねぎを納屋から調達し、親父は豚小屋に忍び込んで豚のお尻を銃剣で5センチほどスライスして切った。豚は痛くて泣くが血は寒さの為にすぐに固まったらしい。その後兵舎に戻り皆で食べた豚汁は涙がでるほど美味しかったと言っていた。

親父たちのたくましさは、なぜ豚を1頭全部を調達せずにお尻をカットしたのかだったが、全部食べてしまうとなくなるが、血が固まった豚は死なずに何度でもカットして食べれるからと笑いながら言っていた。話を聞きながら僕は、寒いシベリアをイメージしながら極寒ならではの知恵だなぁと妙に子供心に納得した。

そんなことを思い出しながら、淡々とハバロフスクに向けて夜道を飛ばしていった。