29、カザフスタンの田舎

夢の国アスタナからロシアへ来た道を引き返すのは能がないので、モスクワ方向へロシアと平行にカザフスタンの国内を進んでみた。

カザフは経済や富が極端な一極集中型で、田舎へ行くと舗装路が減り、スーパーも駄菓子屋みたいになっていった。走っている車も旧ソ連のものだし、全体的な経済状況はロシアのほうがいいかもしれないなと思った。現地の人もモンゴル系の顔つきをしていた。

 

カザフスタンは1991年までソ連の支配下だった。30年近くたった今もロシアの影響が色濃く残っている。

第二次世界大戦時、ロシアは重工業のほとんどをEUの近辺(レニングラード・現サンクトペテルブルグ、ウクライナ)で生産していた。ドイツ軍によってその重工業を押収されるのを恐れたロシアは、大戦が始まるのと同時に500社もの会社と21万人もの労働者を中央アジアやシベリアに移転させた。短期間で1500の工場設備を150万両の列車によって移転させたのだから想像を絶する疎開だったのだろう。同時にカザフスタンへのロシア人の入植も始まり現在でも人口の2割はロシア人だ。

教育のレベルも高く識字率は100%あり、人口の7割のカザフ人はイスラム教徒である。どちらかというと農業国というより鉱物資源輸出国である。国土は世界9位の広さをもちながら、人口は1700万人で九州とほぼ同じだ。日本人がたったの160人しか住んでいないので、SNS等の情報が少なく一体どんなところか行くまではまったくわからなかったが、来てみると驚きの連続でいい意味のサプライズ国家だった。

 

アスタナを離れて数時間も行くと一気に中央アジアらしい景色になった。左手の湖を取り巻くように馬を遊牧している姿が見えた。時間がゆっくりと流れる心地いいシルクロードの風が吹いていた。

さらに行くと延々と続く壮大な草原は絵に描いたようにキレイだった。

アスタナの近未来都市も面白かったが、日本から来た僕にはこちらの大草原の方が感動した。北海道より数段広い。360度見渡す限り草原の中央アジア、見る価値は十分ある。