38、サンクトペテルブルグ(レニングラード)・ロシア総括

モスクワから千キロ西にあるサンクトペテルブルグは、ロシアの最重要都市のひとつだ。ロシア革命まではロシアの首都であった。ソ連時代はレニングラードと呼ばれ、ロシア最大の兵器生産基地であった。この生産基地をめぐってドイツによる2年半に及ぶレニングラード包囲戦はいくつもの有名な映画になっているのでご存知の方も多いと思う。

サンクトペテルブルグは、ロシアでは日本いうと京都のような精神性や文化性が高いエリアとされ、モスクワを田舎者とさえ呼んでいた。さらにバルト海に面して造船、重工業、機械機器などの製造業も発達している。現在ではロシアの経済を牽引する500万都市だ。

 

(エカテリーナ宮殿)

実は3週間もロシアにいたのでちょっと地味目のロシア観光に飽きてきたので、最後に見るならド派手なエカテリーナ宮殿にしようと決めた。

白と水色と金。夏の避暑用(白と水色)、宮殿(金)をイメージした配色なのかも。

ロシアの彫刻は緻密さがなく、コンクリで作り着色したような感じが多い。

奥に並んでいる人は入場待ちの長い行列。限られた一定数しか入れないため5時間待ち。フランスのベルサイユ宮殿のスモール版みたいな感じだった。

四角と丸にカットされた樹木。塀の代わりをしているようだ。

さて、今日がロシアで最後の日になる。明日はいよいよEUに入ることになる。ここでロシアを簡単に総括してみたい。

これまで3週間ロシアを旅してきていろいろ思うことがあった。日本を出るまではロシアが共産圏というのもあり、米ソの対立から日本人も嫌われていて、旅行中にひどいことをされるのではないかと心配していた。うちの親父もロシアと中国には気をつけろと言っていたし、これまでのイメージから「ロシア=怖い・危ない」だったが、旅行をしてみると、アジアなどの後進国にありがちな盗難、暴力、詐欺など一度もされず、そのイメージはかなり変わった。旅行者を騙すようなえげつない下品な人は少なく、貧しいながらも上品な感じを受けた。

一般の人は総じてそっけないが親切だった。どこから来たのと聞かれ、日本人というとまゆをひそめる人はいなく、どちらかというと親日派な感じだった。旅人がよく訪れるレストラン、ガソリンスタンド、スーパー、ホテルなどでは若い子からお年寄りまで女子が夜遅くまで真面目に働いていた。体が大きく頑強な男子も延々とつづくロシアの道を我慢強く走ったり、広大な農地を共同して耕したりしているのを見ると男女問わず国全体が働き者な印象を受けた。東南アジアの男子が道端でダラダラ昼寝していたり遊んだりしているのとは大違いだった。

教育レベルは思ったより高く、サービス系で働いている人は英語を話し、礼儀や身なりもキチンとしていた。話も論理的で旅行者にもわかりやすかった。バスや路面電車などの公共交通機関も整備されて夜遅くまで稼働していた。地方都市のいたるところにATMがあり、惣菜から日用品まであるコンビニのようなミニスーパーがあり、ちょっとした日常生活に困ることはなかった。国道沿いにはイオンの数倍大きなモールもあり、衣食住ともに日本の地方都市よりも快適な街はたくさんあった。

ホテルは3〜4千円で日本のビジネスホテルレベルに泊まることができ、6千円程度だせば欧米の4つ星クラスに泊まれた。ホテル内のサービスはレベルが高く不満に思ったことはなかった。食事は美味しく、肉料理や魚料理のメニューもたくさんあった。駐車場には必ず警備がいて管理されており、車の防犯ブザーが鳴ることはなかった。

携帯電話やインターネットは整備されており、フリースマホにロシアの有名携帯SIM(3千円程度で1ヶ月使い放題)を入れれば、モスクワから遠く離れた地方都市でも全く不自由はなかった。都市と都市をつなぐ横断道路では携帯電波が届かない場所があったが、テキストだけは送ることができ、LINEが重宝した。数十キロおきにある都市部に近づくと日本とLINE電話ができるまでになり、街中に入ると画像や動画も送ることができた。

日本人の大多数のイメージと違い、治安がよく、教育度の高いロシアは全土を通して安心して快適に旅をできる国だった。

なんといってもロシアの魅力は作られた観光地でなく、その広大な手付かずの土地にある。なんの変哲もない遙かなる平野を夕日に向かって延々と車を走らせていると、なんともいえない感動がジワジワと押し寄せてくる。人類はすべて同一種と言われているが、遠い祖先がアフリカから世界中を旅をしながら拡散していった記憶が僕のどこかにあって、それがこの景色を見ることで呼び起こされて感動しているような感じだった。この感動は他の国ではなかなかできないので、ぜひ経験してほしい。