74、なぜ今バイクに乗るのか(回想)

50年前の映画で「イージー・ライダー」というアメリカの名作がある。当時の若者は大いに影響され、ロングヘアにジーパンでアメリカンバイクに乗るのが当時のチャラ男の最先端スタイルだった。映画の冒頭にでてくる時計を捨てるシーンがかっこよくて、チャラ男は時計をしてなかった。僕の場合は部活で剣道をしていたので、丸刈り坊主頭に詰め襟制服のダサい現実と、映画のキラキラした派手な映像があまりに違う世界で、憧れるというより遠い未来の出来事みたいだった。

その映画に感化されてバイクの免許をとったものの、高校生の分際では友人からすごく古い2サイクルのバイクを買うのが精一杯だった。マフラーが一直線だったので皆から大根マフラーのバイクとからかわれた。山道になるとこの大根マフラーから後ろが見えなくなるくらいモクモクと煙をあげて走ったのを覚えている。後ろの車は迷惑だったに違いない。セルはなく当然キックスタート。キックは左側についていて右足で踏む。雨になると電装品が弱いのか、なかなかかからず半べそでキックしまくっていた。

夏休みにそのボロいバイクで早稲田の先輩と二人乗りして地元の九州から四国、中国地方を回って10日間のツーリングをした。所持金は二人合わせて2千円ほどしかない。キャンプと野宿をしながら持参したコメと味噌だけで朝昼晩と食事をした。キャンプ場では隣のファミリーからおかずを分けてもらったり、公園のベンチで寝ようとしていると、係員のおじさんからそこは危ないので管理事務所で寝なさいと布団を敷いてもらったり、真っ暗闇の中、手探りでテントを立てて朝テントからゴソゴソと出ると、そこは公営のテニスコートらしくラケットを抱えた女子軍団に睨まれたり、風呂代わりに夜中に小学校のプールに忍び込んで泳いだり、今だとありえないような旅行をした。

毎日ご飯と味噌汁だけの極貧旅行に我慢できなくなって、居酒屋の「養老乃瀧」に入って2人で一杯のビールとそれぞれ1本ずつの焼き鳥を食べたときは涙が出るほど美味しかった。今でも「養老乃瀧」の前を通り過ぎるたびに思い出す。広島くらいから九州の自宅までは所持金0でガソリンもギリギリでなにも食べず必死で戻った。家についたときはかなり痩せていたみたいで母親が驚いていた。

 

今となってはいい思い出だけど、先日みたビデオでチェ・ゲバラの青年時代のバイク旅行を映画にした「モーターサイクル・ダイヤリーズ」が若い頃の自分たちとそっくりの行動で笑ってしまった。昔バイクに乗っていた人はこの映画もぜひ見てほしい。

車やバイク旅行の醍醐味は、電車やバスと違い時間やルートが自由にできることにつきる。好きな時に起きて、その日の天候や体調で移動ルートや到着地を考え出発する。僕の旅行で一番大事なのは、観光地よりもストレスフリーの「自由」を満喫することだから。

バイク旅行はいつの時代も楽しい。

ところで、最近持病がわかって困っていたが、なぜかバイク旅行中は全く出ない健康体になっている。最初は半信半疑だったが、僕の場合はバイクに乗るとストレスから開放されるらしい。もし持病で苦しんでいる人がいたら大型バイクに乗ってストレスだらけの街を出て鬱蒼と茂る森や涼しい高原を爽快に飛ばしてほしい。必死でコーナーを攻めると、全身の細胞がフツフツと活性化するのが自覚できて、朝起きた時に持病の痛みから開放されていて驚くだろう。